休暇その2

三宅島郷土博物館に行きました。

火山のこの島にも、縄文時代の遺跡から様々発掘されています。

昔の人はどうやって海を行き来してたんでしょうね~~~~。

ちなみに、言い伝えでは、インドの王子が日本にやってきて、富士山で神様のお告げを受け、10個の島を火山によって作ったのが、三宅も含む付近の島々。

平安の時代には神社が島の中心をなし、京の影響が大きかったのが伺えます。
文化的な思想が入ってきているんですね~。今も島にはたくさん神社があって、お祭りも大事にされているんですって!

江戸時代は言わずと知れた、流刑の島。流刑には3段階あって、中級の島流しの刑が三宅島だったそうです。大罪の刑は八丈島へ行かされるのだけれど、三宅と八丈の間には黒潮の強い流れがあって、渡るのは容易でなく、品川から八丈へ行くということは、やっぱり大変で命がけの長旅だったよう。

う~~ん、勉強になるなあ。

知らなかったのは、流刑になった人たちは、島内に割り振られた居住地域から移ってはいけない、島を出てはいけない、手紙を船頭などに袖の下使って自由に出してはいけない、水汲み女と呼ばれる現地妻を置いてはいけない・・などの制限はあるものの、ほぼ自由に暮らすことが許され、内地の家族からの仕送り、差し入れも自由だったという。

よって、流人たちは逆に、様々な内地の文化を伝え広げ、私財をなげうって島のために尽力した人もいるという。

なるほど~。ちなみに上記の禁止事項の水汲み女に関しては、ほとんど見逃されていたそうです。東京から来た、ちょっと悪そうだけど、いい男・・・・なんて、モテたんでしょうね~きっと。


先日は、島のお母さんから避難生活の話を聞きました。

それは、またつづきで・・・・
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by saori-kitamura | 2010-07-31 17:18 | あれこれ・・・ | Trackback | Comments(0)

ソプラノ歌手 北村さおりの日常あれこれと音楽活動のご紹介。 


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