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2011リサイタル

リサイタルの記録

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2011年7月8日(金)
みなとみらい小ホール19時開演
ピアノ:田中健

プログラム

カンプラA.Campra
蝶の歌 ~オペラ・バレ「ヴェネチアの饗宴」より
Chanson du papillon Opéra-ballets 『F^etes Venitiennes』

アーンR.Hahn
クロリスに A Chloris
えもいわれぬ時 L’heure exquise
リラに来るうぐいす Le rossignol des Lilas

ベルリオーズ 
ヴィラネル Villanelle
薔薇の精  Le spectre de la rose
未知の島  L’ile inconnue
~「夏の夜」より『Les nuits d’eté』

ケクラン C.koechlin 
グラディスのための七つの歌 作品151」Sept chansons pour Gladys Op.151
愛の神は私に言った・・・《M’a dit Amour.....》
彼をつかまえたと思ったら・・・《Tu croyais le tenir...》
罠にかかって  Prise au piège
ナイアード   La Na¨iade
嵐       Le cyclone
鳩       La colombe
運命      Fatum



中田喜直
ほのかにひとつ
 ゆく春
 おかあさん
 アマリリス
 髪

フォーレ G.Fauré
ノクターン作品36  Nocturne op.36 (ピアノ独奏)

グノー C. Gounod
私は夢に生きたい Je veux vivre
 ああ、何という戦慄が Dieu! Quel frisson court dans mes veines
   ~オペラ「ロメオとジュリエット」より『Romeo et Juliette』

(アンコール)
アーン    :わが歌に翼があれば
中田喜直  :くりやの歌
モーツアルト:わが復習の炎は地獄のように燃え~オペラ「魔笛」より
相澤直人  :ぜんぶ


小さき花のプログラムノート
 フランス古典歌曲という響きはイタリアのそれと比べ耳慣れない。しかし中世、ルネサンスからバロックにかけてのグレゴリオ聖歌やポリフォニー、教会音楽、世俗音楽・・・フランスこそが音楽文化を牽引していたともいえるのである。音楽史上で歌曲やオペラの発展にフランス作曲家たちの影は薄いが、世の流行に取り込まれず、独自の芸術文化を宮廷の発展と共に興隆していったといえる。ベルリオーズに始まりフォーレ、ドビュッシー、そしてラヴェルへと花開くフランス近代歌曲の栄華は、この肥沃なる土壌の恵みによるものなのである。
 オペラ・バレとは一幕ごと独立したバレエとオペラによって構成された舞台劇。イタリアの深刻な神話劇と違い、軽やかでエレガントなのがフランス流。アンドレ・カンプラ(1660-1744)によって確立された。
 レイナルド・アーン(1875-1927)の歌曲は世紀末のサロン文化そのものといっても良い。しかしその音楽性はサロンによって磨かれたものだけではないらしい。なぜなら13歳で作曲した「わが歌に翼があれば」には、既に言葉の魅力をシンプルに声に乗せるアーンの手法がはっきり見えているのだから。バロック時代のヴィオーの詩にバッハ風の前奏曲が印象的につけられたクロリスに、押韻とリフレインを伴うロンデル形式の優雅さを歌うリラに来るうぐいす、16歳のアーンが巨匠ヴェルレーヌに挑み3年を費やした恍惚の時、同時代の作曲家たちと同じく、古典のエッセンスを魅力的に取り入れてエレガントさを醸し出している。
 エクトル・ベルリオーズ(1803-1896)が1841年に発表した歌曲集「夏の夜」は、ロマン主義からの脱却を試み、「芸術のための芸術」を唱えたゴーティエによる詩集「死の喜劇」から6編が選ばれた。芸術のための詩と音楽の出会いはまさにフランス歌曲(メロディ)の幕開けとなる事件といっても過言ではないだろう。その中から1曲目のヴィラネル(田園的、民謡調という意味)、2曲目ばらの精、6曲目の未知の島。
 シャルル・ケクラン(1867-1950)はフォーレ(1845-1924)に学んだ。歌曲、オーケストラなど作品は多いが、どちらかというと作曲法や対位法の教師として認知されていたようだ。作風は旋法的あり無調ありの多様。「グラディスのための7つの歌」はドイツ人女優リリアン・ハーヴィが1931年の映画で演じたグラディスという役に触発されたケクランが自身の詩に作曲した。自作詩の曲集といえばドビュッシー(1862-1918)「叙情的散文」、そして以前リサイタルでも取り上げたメノッティ(1911-2007)「彼方からの歌」もそうであったが、作曲家たちはどんなプランを持って自作詩の歌曲集を仕上げたのであろうか。詩が先か曲が先か、一曲目から書いたのか全体的に仕上げていったのか・・・。それはもう想像するしかないのだが、ケクランのこれは一曲目から即興的に、そして弾き語る作曲家の姿が、なんとなく目に浮かんでくるのである。楽譜には全曲を通し拍子記号はなく、短音階的響きを持つドリア、エオリアと、全音階的な響きのミクソリディアなどの教会旋法を使用している。この旋法的で機能和声を避ける手法は、フォーレ、ドビュッシーなどが好んで使用した、いわゆる印象派的色彩和声である。1曲目は単音だけのピアノパートで始まり、曲が進むにつれ3和音を中心として厚みを持ってゆくが、そこには即興的で光線的な輝きだけでなく、対旋律的な重なり、旋法に寄り添う素朴でやさしい和音が連なっていく。そして終曲の短い後奏には全音階的旋法が短く置かれ、それはまるで男女をめぐるドラマの無限を現しているかのように感じるのである。
 休憩後の中田喜直(1923-2000)作品では和音階的、教会旋法的、印象派的などの響きを、前半のフランス音楽の余韻の中で聴いていただきたい。きっといつもと違う発見があろう。そしてシャルル・グノー(1818-1893)のオペラ「ロメオとジュリエット」。ジュリエットのまだロメオと出会う前、恋愛への憧れを歌うワルツ、そして毒薬を飲むことへの不安と、ロメオへの愛と決意が渦巻くアリアの2曲。グノーはこのシェイクスピアの傑作をオペラに都合よく上手に纏め上げた。

フランス歌曲にはずっと憧れていたので、今日プログラムに取り上げることができてとても嬉しく思うと同時に、大変緊張している。しかし、この憧れの気持ちが私を舞台の上まで引っ張り上げてくれるのだと信じている。
ドビュッシー、ショーソン、ラヴェルなどなどの作品を取り上げるまでに至らなかったのは、少々心残りであり、いつか必ず実現させたいと思っている。どうかその日を、気長にお待ちいただけたら幸いである。



共演に寄せて
初めて北村さんの歌を拝聴したのは、大学院の伴奏科に在籍していた学生の頃。日本音楽コンクールの本選での演奏でした。

凛として、気品溢れる舞台姿。キラキラ輝く存在感と、きめ細かに紡ぎ出された美声と詩と旋律が、ホールを一杯に満たしていくのを身体中に感じたのを今でも覚えています。

…いつか、こんな素敵な歌手と共演することができたら…。
声楽伴奏の勉強を始めたばかりの新米ピアニストの夢でした。

そして月日がたち、昨年の偶然の出会いをきっかけに、かの憧れのソプラノと共演する機会を得ることになったわけです。

今宵演奏するフランス声楽作品と中田喜直作品は、私にとってとてもやり甲斐のある大好きなプログラムです。
どの作品も洗練されていて、歌詞と旋律と”和声”の関係が密接です。
私個人の主観としては、フランス歌曲のピアノパートは”さりげなさ”に尽きる気がしています。
流麗な流れを促す役割であり、色彩を表出する役割もあり、さりげなくスパイスを利かす役割になったり。
それぞれの役割はこなしていても、それを強いて聴衆に気づかせないような…それがフランスの粋な佇まいというものでしょうか。

また、歌手とピアニストは作品を媒介して発信と受信をしあう仲です。北村さんという、素晴らしい歌手と私が”交信”を繰り広げ、またお客様とも交信しあう。

今宵のコンサートがそのような素晴らしいひと時になりますよう、精一杯演奏させていただきます。

田中健
by saori-kitamura | 2011-07-08 19:00 | リサイタルの記録 | Trackback | Comments(0)

ソプラノ歌手 北村さおりの日常あれこれと音楽活動のご紹介。 


by saori-kitamura