ルーツをたどる・・・神様によばれた父

年をとると自分のルーツを知りたくなるものなのでしょうか。

今日は亡き父の83歳の誕生日ですが、なぜ父はカトリック信者となり、そして私もカトリック信者となったのか・・・・そもそも父はどんな青春時代を過ごし、どんな仕事をして、どうやって母と出会い、私たちは家族となったのか。
プライベートなことですが、記録として書いておこうと思います。

父が亡くなってもう7年が過ぎますが、生前そのようなことを本人から聞く機会はありませんでした。母も結婚前のことはよく知らなかったそうです。
子供の頃の話と言えば、祖父が務めていた宇大付属に通っていた父、やんちゃで先生に叱られては、大学の職員室の祖父の机の下に潜り込み、担任の先生を困らせていた話。
そして、戦争中の中学生のとき、宇都宮の空襲のあと、駅周辺の片付け(がれきもそうだが死体もあったそうだ)をしていると、突然低空飛行で飛行機が現れ、追いかけられるように集中砲火を浴び、友人たちが死んで行った話。弾に追いかけられ、駅にとまっていた列車の下に潜り込んだ生徒たちだが、その列車を飛行機は打ち抜いていった。飛行機が去ったあと、父の手には暖かいものが流れてきて、気がつくと血の海だった。怖くなった父は、列車からぬけだし、げたを手に持ち、「おかあさーん」と叫びながら家までひたすら走ったと言う話。

このような話を子供の頃聞いたからか、父に昔の話を聞きたいとは、大人になってからも思ったことはなかった。聞いてはいけないような・・・。

父は5人兄弟。宇都宮の実家を継いで県庁に勤めた長男。東京で洋裁の仕事をしていた長女。その姉と一緒に東京に出た父。結婚まで教会の幼稚園の先生をしていた次女。そして幼少時に亡くなった男の子が一人いたそうだ。

もう、長女であるおば以外は亡くなっている。

法事で、おばといとこたちが集まったとき、父の子供の頃の話を聞いた。
想像していた父とは随分違っていた。
私たちの知ってる父は、器用で、絵を描いたりモノを作ったり何でも出来る人で、親戚付き合いもマメで、人気者タイプ。
だけど、子供の頃は、次男らしく?言い出したらきかない、じっとしてないタイプの男の子だったらしいです。
大人になって東京でおばと二人で暮らしている時も、夜も仕事で忙しいおばに、一緒に映画にいこうと、よくせがんだそうです。


そして、祖母、長女、父、次女、父のいとこたちがカトリック信者となったきっかけの話になり、私はてっきり、最初はおば達が教会にあこがれて通うようになり、父はきっとおいしいお菓子にでも釣られて教会に通ったのだろうと思っていた。

実際は、戦後すぐ、最初に、ひとりのいとこが教会に通うようになり、ついに親には内緒で洗礼をうけた(そののちノートルダムのシスターとなる)。その話を聞いていた父達だったが、教会には行っていなかった。ところがある日、父が祖母に教会に行ってみたいと言い出したらしいのだ。父はとてもやんちゃなわがままで言い出したら聞かない。祖母は仕方なく、姉のおばを付き添わせて教会に行くことを許可したというのだ。そのうち妹も一緒に行くようになり、他のいとこたちも教会に通いだし、次々洗礼を受けて行った。

そして、あるとき、ついに祖母が洗礼を受けたいと言い出したらしいのだ。
その理由は・・・・当時、どのような仕事をしていたのか詳しくは聞けなかったけれど、戦後の混乱期、父の周りには薬や犯罪がごく身近で、祖母はとても心配していたが、そのようなことに手を染めず、まともな大人になれたのは、きっと神様のおかげに違いない・・・だから私も神様を信じたいと、祖母は言ったらしい。しかし祖父や長男、長男の家族は信者ではない。そんな中で、祖母は洗礼を受けた。

そのことについて、祖母と一緒に暮らしていた、実家のいとこが言うには、実家の中でひとりだけ信者となった祖母は、大きな十字架を背負ったように、苦しんでいたようだったと言っていた。

次回は私のことを考えたいと思う。私が生まれた時は、両親は教会には通ってなく、我が家にはキリスト教的教育は、まったくなかったと思う。しかし、なんとなく、私は子供の頃から気になっていたのです。
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by saori-kitamura | 2014-07-02 02:11 | あれこれ・・・ | Trackback | Comments(0)

ソプラノ歌手 北村さおりの日常あれこれと音楽活動のご紹介。 


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