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魔笛の思い出

先生のご葬儀に伺うことができなかった。

かわりに、思い出を。

芸大大学院時代、私はソロ科で主に歌曲の勉強に励んでいました。
芸大には厳密には独唱科、オペラ科と入試の時点から分かれているのではなく、入学後、オペラ科と呼ばれる講座を希望する人はオーディションを経てメンバーが決められるのである。

私は当時妊娠しており、スケジュール的に厳しいオペラ科を断念・・・。もともと歌曲を勉強したかった私には、かえってよい選択だった。

産休を終えて復学した年、修士課程3年の時、オペラ科の演目が「魔笛」と決まった。キャストの多い「魔笛」はオペラ科メンバーだけでは上演できないので、ソロ科にもオーディションの機会がまわってきた。そして、夜の女王の役を頂いたのだ。

演出:実相寺昭雄
指揮:大町陽一郎(退官前の最後のオペラ公演)

すでに、芸大奏楽堂こけら落とし公演「魔笛」で、その演出はお披露目されていた。その時は女王をオペラ科の友人が歌った。

その院オペ版。そして、すみだトリフォニーホールに会場が移ったことによって、新たな演出も加わった。

授業なので、毎日毎日稽古。毎日、毎日歌って・・・歌って・・・。とてもよい経験だった。この稽古の繰り返しが、その後の仕事の基礎となっているのだと思う。

メタリックな大階段。闇と光。そして、ウルトラマンの仲間達。なんとも幻想的で、今までどこにも存在しなかった、未知の世界が、実相寺版「魔笛」の世界として広がった。

第一幕、私はリフトに乗っかり登場。最上階のお客様と同じ目線から歌いだし、地上のタミーノを口説き落とす、難しいシチュエーション。

でも、気持ちよかった。

タミーノの福井 敬さんとは魔笛2度目の共演(1度目はモーツアルト劇場で)でもあって、心強かった。

夜の女王は、十分にセットや照明などに、その世界が演出されているので、大きな演技などは必要なく、とにかく、曲を十分に歌いきることが、何より重要であって、演出にふさわしく効果も大きいと私は判断して、自分をセットやクレーン、スモークなどに負けないぐらい大きく、そして曲の難しさにも負けないように歌いきることに集中して舞台に立った。

14番のアリアではパミーナとの場面。まったく演出指導なし。先生は黙ってうなずいただけ・・・・。大階段を生かして自分達で考えた動き。私は足を怪我していたため、あまり動くことができなかった。そかし、それがかえってよい効果を生み、動揺するパミーナと、壇上から高圧的に迫る母の場面が描けたと思っている。何より、パミーナさんが素晴らしかったから・・・・・。

先生は、歌い手に細かく、「右を向け、手をあげろ・・・:などと、人形のように動きをつけるようなことはまったくしないのだ。それよりも、もっと大きなコンセプトや、舞台効果などによって先生の世界を展開して、そこから歌手は自分の役割を、自分のできる演技の可能性を知ることができるし、そうしなければいけないのだ・・と、暗黙の命令のようだった。

この演出は、その後二期会でも上演されて、そこでも大成功だった。

そして、再び、二期会「魔笛」。実相寺監督の、新しい演出。

まだ、研修所を終えたばかりの年にオーディションが行われ、過去最高の参加者だったそうだが、新人としてキャストに入れていただくことができた。本当にうれしかった。
Commented by オリーブ at 2006-12-06 12:55 x
子育てをしながらの学びだったのですね。ぼんやりの私などは、とても想像できないほどのご努力だったことでしょう!!
by saori-kitamura | 2006-12-02 12:52 | あれこれ・・・ | Trackback | Comments(1)

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