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父の戦争体験

次女の夏休みの宿題に、戦争体験を聞く、というのがあった。

私も娘の頃、そういう課題が出て、作文を書かなければいけなかった。

身近な戦争体験者は・・・とうぜん両親である。

戦争当時、母の自宅は水戸市内であったらしいが、母とその妹は、母親や姉達と離れ、茨城の田舎の親族の家に疎開していたため、あまり厳しい体験の思い出はないらしい。

しかし、市内にいた伯母からは空襲で逃げまとったことや、その時、ひとりでいる小さな女の子をみつけ、置き去りにすることができず、祖母が3人の伯母達と一緒に連れて逃げた話を、割と最近聞いた。何とか皆無事に生き延びて、祖母は、その女の子を引き取る覚悟をしていたという。しかし、幸いなことに、その子の母親が見つかったのだそうだ。

その女の子も、今では70歳ぐらいだろうけれど、今もそのことを覚えている、もしくは母親から聞かされているのだろうか・・・。


一方父は、宇都宮に住んでいた。宇都宮にも空襲があり、小学生だった父は、翌日、駅周辺の片付けに借り出されていた。

事件はその時起こった。この時の話を、小学生だった私は、父から聞いたのだ。

あたりは焼け野原で、リヤカーや板にガラクタや、又は、死体を乗せ、運ぶのが仕事だった。
そこへ、B29が一機飛んで来たのだ。しかし、まわりは焼け野原、隠れるところなんかない。

父は、駅に止まっていた貨物列車の下にもぐりこんだ。他の子供達も一緒にもぐりこんだ。

ダダダダダ・・・・弾が貨物列車に走った。すると、父の手に(足だったかな?)、生暖かい感触があり、となりの少年がうめいていた。その少年は弾に当たり、大量に出血していたのだ。

父はこわくなって、列車から這い出し、履いていた下駄を手にもって、「おかあさ~ん」と叫びながら、一目散に家まで走って帰ったのだそうだ。


このことを、父から聞いて、私は作文に書いたのだけれど、父が途中から、「パパの言うとおり書け」と言い出して、口述筆記になり、結局翌朝、机には、直しの入った原稿用紙があった。

私はそれを丸々書き写して提出した。そうしたら、なんと、その作文が選ばれ、クラスに紹介されたのみならず、学校新聞のような、全保護者向けの配布物に掲載されてしまった。

そりゃ、本人が書いたのだから、リアリティーに溢れていたとおもう。

父が、私の作品に手を出すということは、これに限らず、何度も起こることなんだけれど。
(描きかけの静物画が、寝ている間に仕上がっていたり・・・。しかも、父の得意な油画風に・・・。
風景画の時もそうだった・・・・・・・。このときは、たしか、学年代表で市の展覧会に出品されてしまった。私の絵じゃないのに・・・)



その後も、その話を時々、ちょこっと話すこともあったけれど、あれ以来、きちんと聞く機会はなかった。

今思えば、この時、ちゃんと聞いておいて良かった。

母に、このときの作文が残っていないか、探してもらったが、残念ながら見つからなかった。つくづく残念。

先日の法要で、父の姉に、このときのことを聞いた。

「たかちゃんは、本当にこわかったんだと思うよ~。それからしばらくは、様子がおかしかった」

と言っていた。

戦争の生体験談を、身近な人から聞けるうちに、聞いておこうと思った。

今まであまり感じていなかったけれど、父も母も、叔父も、伯母も、子供ながらに戦争体験者なんですよね。。。



体験談ではないけれど、母方の祖父は職業軍人で、水戸では、なかなかえらい人だったらしい。太平洋戦争に発展する前に戦死しているが、遺品がきれいに残されていて、伯母が大事に保管している。

それを、数年前に一度見せてもらったことがある。勲章はじめ、軍服、それに付随するもの(詳しくかけない・・)などが収まっている、映画でよく見かける皮のトランク・・・・・・。それもかなり衝撃的だった。

伯母は、私が生きている間は大事に持っていたい・・・といっていた。
Commented by cecilia_orgel at 2009-09-12 10:33
お父様もつらい思いをされたのですね。
私の父は満州からの引き揚げでした。母は南洋、トラック諸島からの引き揚げです。母の叔母は、南洋からの引き揚げの際、乗っていた船が攻撃を受け、今も南の海の底に眠っているそうです。そして、母は空襲経験者でもあります。
私たちは、直接体験者から、戦争の悲惨さを聴くことができますが、だんだんそれも難しくなってきましたね。
このことを、どう後世に伝えていくか、難しい問題だと思います。
Commented by saori-kitamura at 2009-09-12 20:19
私たちは、話を聞かなくとも、親世代の人たちの立ち居振る舞いから、その経験を垣間見るチャンスが、日常にあったわけですね。私たちが気付いていようが、いまいが。

これからは、意識しないと、それを伝えることはできない訳ですね。

by saori-kitamura | 2009-09-08 13:38 | あれこれ・・・ | Trackback | Comments(2)

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