ひとりごと
2013年 01月 19日
学生時代の授業のノートの幾つかを20年以上ずっと手元に置き、事ある度に読み返したりしていたのだが、1年半ぐらい前にどうにも荷物が増えすぎて処分してしまった。
その中にキリスト教学も。善悪と自由意志、誘惑について、この頃よく考えてみるのだが、、、わからん。
ノートを捨ててしまった事を後悔。
昨年はこの授業の神父も、私が受洗した神父も亡くなってしまった。
日々、神父とシスターは身近ではあるが、オトナになった今、教えを受け、向き合うことはなかなか難しい。授業は叱られたり居眠りばかりだったが、あのノートが今でも頼りとは。
子供の頃の教育というのはありがたいモノなのだなぁ、などと思うと、今年度も大学での授業は終わるが、まったく反省ばかりでなのである。
そしてノートと言うのは、ただ文字による記録ではなく、その時の理解の記憶をとどめているのだなぁ、大事にしなければならないな、と思うのでした。
その中にキリスト教学も。善悪と自由意志、誘惑について、この頃よく考えてみるのだが、、、わからん。
ノートを捨ててしまった事を後悔。
昨年はこの授業の神父も、私が受洗した神父も亡くなってしまった。
日々、神父とシスターは身近ではあるが、オトナになった今、教えを受け、向き合うことはなかなか難しい。授業は叱られたり居眠りばかりだったが、あのノートが今でも頼りとは。
子供の頃の教育というのはありがたいモノなのだなぁ、などと思うと、今年度も大学での授業は終わるが、まったく反省ばかりでなのである。
そしてノートと言うのは、ただ文字による記録ではなく、その時の理解の記憶をとどめているのだなぁ、大事にしなければならないな、と思うのでした。
by saori-kitamura
| 2013-01-19 12:44
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